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中国推拿の歴史について

1 中国推拿の起源
  中国推拿は中医学のあらゆる療法の中で、最も古い起源を持つものだといわれています。人間の本能的な動作からはじまった 療法だからです。例えば人間は硬い物に腕をぶつけた時、思わず痛い箇所を擦ります。そして痛い箇所を擦ると、痛みが和らぐ ことを経験的に理解するようになりました。同じように手で押したり、手で揉んだりすることで、肉体の苦痛を和らげることを 経験的に学ぶようになりました。
  こうして本能的な動作にはじまり、いろいろな体験を積み重ね、治療法として確立していったのが中国推拿です。その起源は 中国大陸における人間の歴史とともにはじまったといっても過言ではありません。
  中国推拿が本能的な動作から枝分かれして、医学的な治療法に発展していった年代をはっきり特定することはできないです  が、3000年以上前、殷の時代(紀元前1751〜1050年)には、すでに初歩的な推拿の治療がはじまっていたことが、遺跡の象形 文字によって明らかになっています。
2 中国推拿の発展の歴史
  中国推拿が治療法として独立し、さかんに行われるようになったのは、春秋戦国時代(紀元前722〜221年)頃からです。秦 から漢の時代(紀元前221〜紀元後200年)には、推拿は更に普及し、その記録がはっきりと文書に記載されるようになりまし  た。現存する中国最古の医学書である『皇帝内径・素問』の中に、推拿療法に触れた記述が多く見受けられます。また、この頃 すでに『黄帝岐伯按摩十巻』という推拿の本が書かれていますが残念なことに、この本は戦火によって、現存しません。
  やがて魏の時代(220〜265年)になると、皇帝のための病院に按摩科が設けられ、唐(618〜907年)の時代になると、「太 医署」とよばれる医者の教育機関が誕生しました。太医署には4つの科が設置されましたが、推拿もその1科となりました(太医 署には医科、鍼科、推拿科、祝由科の4科が設けられ、この当時は整形外科や整骨も、推拿に含まれていました)。
  宋、金、元の時代(969〜1368年)になると、推拿は婦人科の治療にも応用され、明の時代(1368〜1644年)には、小児科 治療に推拿が用いられるようになりました。推拿はしだいに応用の範囲を広げるとともに、医学的な研究・分析も進み、新しい 手法も次々に開拓され、時代の進展にともなって着実な進歩を遂げてきたのです。
  特に新中国建国後の推拿の進歩はめざましいものがありました。中国政府が中国固有の医学を尊重し、積極的に育成する政策 をとったからです。西洋医学と中医学の医者が交流し、たがいに良い面を取り入れ合って、全体として医学を進歩させようとい う『中西医結合」とよばれる政策が実行に移され、まず各地の中医学院に鍼灸・推拿系(科)が設立されました。そして、西洋 医学の医者は推拿療法を勉強し、推拿の医師は西洋医学の理論を勉強するようになりました。更に中医学にたずさわる医家と西 洋医学にたずさわる医者が協力して医学の研究を行ったり、協力して推拿の手法を開発することも試みられました。このような 積極的な試みが功を奏して、いまだかつてないほど推拿の研究が盛んになり、推拿の療法は急速に発展しました。新しい手法が 次々に開発されるだけではなく、頚椎病、椎間板ヘルニアの治療に推拿が用いられるなど、治療の適応範囲も飛躍的に拡大し、 今も発展し続けています。